「責任を負う」というけれども、一体誰の?あるいは何の?
心身共に重苦しい年明けからはや一ヶ月が過ぎて、ようやっと動き始めたような。
もっとも、相変わらずカラダは「突っ走るな」とでも言うかのように、こまめな休息を要求する。
一つの節目としての終わりを迎えた。
そこでわかったのは、責任を「負わされた」としても、自分で考えるよりはずっとラクだということ。
これからは、自分でやってかなきゃならんわけだ。
これまでのプロセスは、その追い方を学んでいたのかもしれない。
自分の内に対象を取り込んで発していた言葉を今度は、対象を見ながら自分の言葉で表現する。
これまでやっていたことに立ち返るだけなんだけど、どうかな?
少しは成長したんだろうか。
訳もなく涙を流す
聞かないでいて
ただ知っていればいい
夢の世界、神話の風景。
現実と重ねて織り成す景色。
癒す力は言葉から。
言の葉の欠片が言霊になる。
それがこれからわたしが負っていく責任であり、課題なんだろう。
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